| [2]真宗講座 |
| 講師:渡辺(寿台)順誠(光西寺住職) (2008/03/21更新) 私たちが、宗教の『聖典』を読む場合には、必ず「解釈」という作業が要求されます。とりわけ、自らの信仰の問題として読む場合には、「現代的解釈」が必要になります。例えば、自らの信心を確立するために『教行信証』を読む場合、その一々の文言が、この書が成立した約780年前においてどのような意味をもっていたのかを考えること(=これを「歴史的解釈」と呼ぶことにします)だけでなく、それを現代に適用する場合には、いったいどのような意味を有するものとして受け取り直すことができるのかを考えること(=これを「現代的解釈」と呼ぶことにします)が必要です。『聖典』の「解釈」という作業は、「歴史的解釈」と「現代的解釈」の両方においてなされることですが、信心獲得のためには、必ず「現代的解釈」の作業が含まれていなければなりません。「歴史的解釈」だけであれば、それは過去のものに対する関心や好奇心を満たすことに終わってしまって、現代に生きる者としての宗教的な行為にはならないからです(とはいえ、逆に「現代的解釈」だけでは、独りよがりの思い込みにしかならない場合が多いので、やはり『聖典』の文言を解釈するにあたっては、その歴史的な意義について一定の基礎的な学習が必要であることは言うまでもないことですが)。 そこで、今年度の真宗講座においては、「近現代における親鸞論の再検討」を通して、現代において親鸞思想にどのようにアプローチすべきなのかを考えてみたいと思います。すでに近現代においても、親鸞は多くの思想家・歴史家・作家などによって取り上げられ、論じられてきた歴史がありますので、まずはそれを再検討しながら、私たち自身がどのようにして親鸞の教えを受け取り直せばよいのかを考えてみたいということです。 具体的には、今年度は歴史家・古田武彦の『わたしひとりの親鸞』を検討することにします。なぜこれを選択したのかというと、本書には三木清・服部之総・家永三郎・滝沢克己・野間宏といった、古田に先行する人たちの親鸞論(戦後親鸞論の系譜)を批判的に検討した部分が含まれていますので、この部分を検討することによって、戦後親鸞論争の主要な論者たちの議論も合わせて検討することができる、ということがあるからです。 但し、『わたしひとりの親鸞』は単行本(毎日新聞社、1978年)・文庫本(徳間書店、1985年)とも、すでに絶版になっていて古書でしか入手できなくなっていますし、『古田武彦著作集・第三巻』(明石書店、2002年)に収められたものは新刊本で入手可能ですが、高価(7,140円)であるという問題があります(ただ、『著作集』のものも、古書であればもっと安く購入できるようです)。ですから、参加者には、できれば上記いずれかのものを古書で入手されることをお薦めします(或いは、参加者と相談の上、適宜、必要な箇所をコピーして配布するということを考えてもよいと思いますが)。それから、古田武彦自身の親鸞論については、最も手ごろなものとして、「センチュリーブックス 人と思想」シリーズの一冊として出されている『親鸞』(清水書院、1970年・850円)をお薦めしておきたいと思います。 なお、毎回、関連のある事項については、必ず『聖典』の関連箇所を確認しながら話を進めますので、まだ『浄土真宗聖典(註釈版・第二版)』(本願寺出版社、2004年)をお持ちでない参加者には、これを購入していただきます(これは光西寺で扱っています)。5,460円で、少し高いと思われるかもしれませんが、もし本当に浄土真宗の教えを学ぼうとするのであれば、これは絶対に必要なものなので、その点はご了解いただきたいと思います。 以上、多数の方の積極的なご参加を期待しております。 |